=高橋・川原母娘・Eusebio・吉岡
東ティモール日本文化センター(TNCC)事務局長・吉岡志朗
III 南十字星、チェ・ゲバラ、タイスマーケット、安宿あり、日本円両替できず、音楽
◆南十字星を見てみよう!
東ティモールなど赤道付近では、12~1月は太陽は東南東から昇り、南側を通り、西南西に沈む。6~7月は東北東から昇り、北側を通り、西北西に沈む。月も上弦の月、下弦の月も斜めではなく真上か真下の三日月となる。東ティモールの夜空は星がいっぱいである。北は天の北極を中心に時計と反対回りに、南は天の南極を中心に時計回りに回る。オリオン座は真上に。そして、南十字星が、この時期(1~2月)は、9~10時くらいは左に少し傾き、1~2時頃はまっすぐに、5~6時くらいは少し右に傾いている。
◆街中やMicrolet(乗り合いバス)にチェ・ゲバラ
フィデル・カストロ氏とともにキューバ革命を導いたチェ・ゲバラは東ティモールでも人気だ。街中や乗り合いバスにも肖像が。ちなみに、独立回復後、キューバは、多くの医師を東ティモールに送り、多くの若者をキューバに留学(ラテンアメリカ医科大学)させ、東ティモール国立大学医学部を支援している(授業料も医学部だけほとんど無料)。 |
◆タイスマーケット
「私たちは文化を持ち、私たちはアイデンティティーを持つ」とある | タイスに加え、バスケットなど様々な民芸品が売られている |
◆東ティモールに安宿あり
今、ディリには10~15くらいのホテルが立ち並んでいる。いずれも50ドルから100ドルくらいである。タイスマーケットの近くにSANDS MOTELがあり、そこは、1カ月で借りると350ドルと割安である。その斜め前に、Back Packersという安宿があり、そこのドミトリ(4人部屋)は12ドルと格安だ。いずれもいろいろな国の人と話ができる。そこに、イタリア人男性とともに世界1周バイク旅をされる沖縄出身の日本女性Shizuyoさんに会った。2009年5月イタリアを出発し、オーストラリアから22カ国目の東ティモールへ。関心のある方はHP((「いってきま~す世界一周バイク旅」http://andiamo.ti-da.net)をご覧ください。「いってきま~す世界一周バイク旅」で検索すると携帯からもアクセスできます。
また、近くにはWASABIという日本レストラン(インドネシア人が経営)や、Mama Restoという2~3ドルでお腹いっぱい食べられる食堂や、タイレストラン、さらにベトナム人夫妻が10年前から営むチキンの屋台もある。
◆政府・警察の仕事ぶり
そのイタリア人男性と沖縄出身の日本人女性Shizuyoさんもダーウィンから送ったバイクを受け取るのに、政府の事務所を行ったりきたりされていた。
高橋さんらが帰国された後、私は2月11日(土)~14日(火)までバスでサメまで、それから乗り合いトラックでジョゼさんのベタノ村まで行った。
帰りの14日(火)サメからアイレウで昼休憩の時、昼食を食べた後、他のバスの乗客とバスの近くにいた。すると、警察が来て何のために来ているのかとーNGOで来ていると。するとパスポートを見せろとーすると観光ビザではないか。そうだ、ベタノ村の友人に会いに来たと。しかし、結局、警察へ連れて行かれ、テトゥン語で1時間事情聴取(ポルトガル語ではなかった)、結局、さらに1時間待って警察の車で1時間半かけてディリの入国管理局に。そこで、聞いたのは、彼らが作った書類には私は中国人で、半年前の昨年7月に入国してビザが切れているとのことで連れてこられたと。ディリの担当官は私のパスポートを見て、ビザは問題ないとようやく自由の身になった。これが、東ティモール政府・警察の仕事ぶりー多少あせったが。
◆日本円両替できず
最後、準備していたドルがなくなり、日本円をドルに両替しようと銀行に行った。しかし、2つあるインドネシアの銀行もANZ(オーストラリア・ニュージーランド銀行)もコルメラにある台湾のWestern Unionでもだめで、お土産や帰国の空港税も払えない状況になってしまった。インドネシア・バリ島で両替したインドネシア・ルピーが5000円分くらいあったので、なんとか58ドルを両替でき、何とか出国できた。東ティモールに行かれる際は要注意!
◆音楽
東ティモールでは、バス(乗り合いバスも)などいたるところに音楽が流れている。私も1993年に初めて東ティモールを訪れた際も音楽テープを買ったり、その後90年代半ば東京の女性3人がティモ・ロロサエというグループを作り、東ティモールの音楽をテトゥン語で歌ってきた。
今、東ティモールでは、カセットやCDではなく、携帯からダウンロードして聞いている。もしくはそのメモリーカードをアンプにつなげて聞いている。ベニラレのMr Joanicoに聞くと、1曲2セント(約1.6円)という。
Nino Pereira(Tony Pereiraなど音楽一家の一人)が99年9月に来日した際、Tokyo-Diliという歌を作ったが、彼は2002年にFalintil(Falintilに捧ぐ)という名曲をCDで出している。
タウル元総司令官やファルール司令官にも聞いていただき、各地でも紹介することができた。
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