2007年10月23日火曜日

あーす農場バイオガスシステム改良工事

あーす農場バイオガスシステム改良工事

2007年10月20日(土)午後2時から21日(日)午後1時まであーす農場を訪問しベトナム式バイオガスシステムの改良工事に仙台から参加した。

TNCCの自然エネルギー部門の担当リーダーである仁井明さんは、数日前から滞在し、環音代表の広田奈津子さんのテトゥン語の通訳で、バイオガスシステムの基礎を含めて詳しい説明を東ティモールから研修に来ているジョゼさんとシルビーノさんに行ったとのことであった。

私が到着した時には、改良工事は半分以上進んでいて、私は施設に水を運び入れるバケツリレーに参加した程度であった。

あーす農場の家族総出の労働協力とリわけ前回の工事の実務担当者であった大森げんさんの活躍と、東京から駆けつけた佐藤秋雄さんの土木工事の専門的技能によって、これまでより大分改良されたシステムが、私があーす農場を出発する時には完成していた。

2007年10月5日金曜日

東ティモール独立の陰にこの人あり 貴島正道さん

「東ティモール問題が解決しない限り、20世紀は終わらない。」この貴島さんの言葉が現実のものとなった。戦時中、日本兵(主計将校)として、ただし戦うことなく、東ティモールに滞在、人々と交流をし、戦後は、NGOの代表として、国会議員への働き掛け、そして、ノーベル平和賞の獲得運動など、東ティモールの人々のために尽くした貴島正道さん。その貴島さんに話を伺った。

独立記念
写真:環音(わをん)HPより

──東ティモールへはいつ行ったのですか?

「1942年2月1日に入隊。しばらくして、主計将校になる試験があるのを知って、満州(現、中国東北部)の経理学校へ行った。それから、アジアを南下して、東ティモールへ入った。中心都市ディリを中心に、43年3月から、45年8月までの2年半滞在したよ。」

──どんな体験をしたのですか。

「戦時中、日本軍は西ティモールに1万人、東ティモールに1万人。僕は、中立国であったポルトガルとの交渉を任された。月1-2回、コーヒーの産地・西部のファトベシへ行き、ティモール・コーヒーを扱った。東ティモールの人たちとコーヒーを一緒に飲むことで、友だちになれた。そして、中止されていたフェスタ(祭り)を再開した。ソピー酒(やしの葉から出来る)を飲みながら、3日3晩踊り明した。月が沈むと終りという感じだったな。
やしの木陰、南十字星、踊りと予期せぬ青春時代を送った。東ティモールでは、トアン・ボート(大旦那)と呼ばれていた。東ティモールを去るとき、東ティモールの友人たちが港まで見送りに来てくれた。」

独立祝賀コンサート
写真:独立祝賀コンサート環音(わをん)HPより

1974年にポルトガルの独裁政権が崩壊し、東ティモールは75年11月28日に独立を宣言するが、その10日後の12月7日、インドネシア軍が侵略、人々を殺戮した。
「60万人中(当時の東ティモールの人口)、20万人が殺された。虐殺の数では、100万人のカンボジアが最大だが、虐殺率では、東ティモールが最大。さらに、多くの女性が、強姦された。人間の尊厳が失われた。」

*85年に始まった東ティモールを支援する運動が、呉、大阪、東京など全国へ拡がり、「東ティモールに自由を! 全国協議会」が結成され、貴島さんも「東京東チモール協会」代表として、本人曰く、知らせ役の一人として活動する。


「当時は、東ティモールのことを知る人は少なく、観客のいないトラックを走るランナーの様だったよ。」

──国会議員への働き掛けも貴島さんが動かれたと聞いていますが。

「85年、国連に国会議員を送り、その翌年、「東ティモール問題を考える議員懇談会」が、国会議員72人でスタートした。国会での質問、94年、99年と現地も訪問したりした。」(今年、東ティモール議員連盟に、事務局長は岡崎トミ子参議院議員)

──96年に東ティモールのベロ司教とラモス・ホルタ氏がノーベル平和賞を受賞されましたが。

「92年末にベロ司教をノーベル平和賞にという提案が東京のミーティングであり、これはと思い、早速推薦文を国会議員にサインしてもらった。」
ノーベル平和賞は、ノルウェーノーベル委員会が毎年10月上旬決定する。日本から始まった運動が、世界へ、東ティモール人へと拡がり、93年から4回目のトライで受賞する。貴島さんなくして、今日の東ティモールはないと言っても過言ではない。

ラモス・ホルタ
ラモス・ホルタ氏

──99年8月30日、東ティモールで、独立を問う住民投票が行われました。

「20世紀は民族独立の世紀だった。住民投票で、独立を問うというのは、世界でも稀なことじゃないかなあ。しかし、その後の民兵(ミリシア)による破壊。夜明けの前が一番暗いというが。」

*いよいよ、東ティモールで、憲法を制定するための制憲議会選挙が、住民投票2周年にあたる8月30日に行われ、来年4月には、新しい国家「東ティモール」が誕生する。


「制憲議会選挙を終えて、峠を越えたという感じだな。シャナナ・グスマオが大統領になる用意があると聞いて喜んでるよ。来年、57年ぶりに東ティモールにまた行きたいね。」



写真ー99年12月、東京で開催された援助国会合に出席のため来日したシャナナ・グスマオ氏は、初めての出会いにもかかわらず、古くからの友人のように抱き合われた。
(略)
99年12月 衆議院議長公廷にて、貴島正道さん提供
文 吉岡志朗 東ティモール日本文化センター(TNCC)

2007年10月2日火曜日

希望の島・東ティモール訪問記2

希望の島東ティモール2

市場

イリオマールでは、農場・水田視察からの帰り、夕方7時頃、お米を乗せて馬を引く若い農夫に出会う。明朝イリオマール中心街で行われる朝市に出すお米を運んでいるとのこと。朝市の行われる集落までは未だ14~15kmはあろうかという距離である。往復7時間はかかるであろうか。

図書館から200mと離れていない所で朝市が行われるのであるが、暗闇の中で話し声が聞こえる。時刻は未だ5時前である。東京と時差はない。

勤勉さを示すもう一つに、水田の畔が実に丁寧に手入れされていることである。乾季と雨季があるため、乾季には水田は使えないはずである。それにもかかわらず、実に丁寧に手入れされていた。

希望の島・東ティモール訪問記1

希望の島

ティモールコーヒー

確かに混乱の極みにある。
だがそこに希望があるといわねばならない。

首都ディリーでは、みやげ物のコーヒーを買うのでさえ、2日がかりであった。手工業的コーヒーの焙煎屋を探して,車で走ること30分。ようやくたどり着くも、発動機にドラムカン。

TNCC-JAPAN第42次現地支援訪問

TNCC-JAPAN理事長髙橋道郎は、タウル・マタン・ルアク大統領と8月9日(日)には私邸で、8月21日(金)にはTNCCタイベシ事務所で、2回会見した。写真は8月21日第6回TNCC全国農業会議に出席された時の会見である。 (8月21日午前9時50分TNCCデイリタイベシ事務...