=高橋・川原母娘・Eusebio・吉岡
東ティモール日本文化センター(TNCC)事務局長・吉岡志朗
2012年1月23日(月)、高橋道郎TNCC理事長(会社組織ではないのでここでは高橋さんと呼ばせていただく)、Eusebio氏、川原妙子さん(山口県のアートスクール)と娘の奏子さんと吉岡が東ティモールに集った。それぞれ、3週間、1週間半、4週間にわたる感動的な日々を紹介させていただく。
左から川原奏子さん、高橋道郎さん、川原妙子さん、Mr.Eusebio(吉岡撮影)
I 日本軍、貴島正道さん、インドネシア軍、サンタクルーズ虐殺事件、1999年9月ミリシア
◆日本の軍歌を
2月5日(日)、ベニラレの中心部ファトリアから歩いて2時間TABUIP(オス郡ブイラレ村の農業グループ)のFrancisco Freitas da Costa氏を訪ねた。そのお父さんは1~20までの日本語を知っておられ、また、軍歌や「白地に赤く日の丸染めて」の歌を知っておられた。現在90歳で、17歳のころ日本軍に仕えたことがあるという。ちなみに目が悪く、昔は目がよかったが、近くが見られず、次回眼鏡をお持ちすることの要請を受けました。詳しい方アドバイスを。
◆貴島正道さんの思い出の地ファトベシへ
2月8日(水)、9日(木)、バイクを借りラフロードを3時間かけてファトベシへ行った。ここは、貴島正道さんが戦時中、主計官として赴任され、フェスタを再開させるなど人々と交流された思い出深い地だ。1年前貴島さんと急逝されたウラール司令官を記念した農業グループが発足した。
ご子息の貴島徹さんからのご寄付で、第1回と第2回の連帯ローンが実施され、第2回の連帯ローンでは鶏、豚、魚の水槽2つが設置された。詳細は「10の農業グループへ」を参照乞。
TNCC事務所の貴島正道さんの写真の前で 貴島さんのことを熱く語る高橋道郎さん | 手前にコーヒーの実(5~6月赤くなる)、 遠くにシェイドトゥリー(影になる木) |
◆家族が捕まり、5才の子どもまでアタウロ島へ島流し
ベニラレ・ワイオリ村のマルカルさんは、自身75年~89年までFalintilの戦士だった。 しかし、81年両親と妻と子ども(5歳と2歳)が捕まり、2年間アタウロ島に投獄された。 夫人は性的虐待を受け、自殺されたとのこと。 当時5歳の息子のノゲルさん(現在たぶん36歳)ともお会いできた。 |
◆弟さんが21年前インドネシア軍に殺される
81年2月14日、ジョゼさんの弟さん(Falintil名マオン)が、Falintilの戦士(Falintil名ペレ=デュリン)とともにインドネシア軍に殺された。 今年の2月14日、21周年のセレモニーを盛大にされる。その記念のメダルをディリの店に依頼していたものが届いた。 |
◆デイヴィッド・アレックス司令官と
バウカウのローレンソ・バティスタさん(写真中央白いシャツ)は95年からFalintilの支援を。 写真はデイヴィッド・アレックス司令官(写真左隣り)と。 デイヴィッド・アレックス氏は1997年インドネシア軍によって殺害された。遺体は現在も行方不明。 *下部の光はフラッシュによるもの |
◆サンタクルズ虐殺事件から20年
2月1日(水)朝、川原妙子さん、奏子さんとサンタクルーズ墓地を訪ねた。 |
1981年11月12日、セバスチャン・ゴメス君の納骨式がモタエル教会で行われ、サンタクルーズ墓地まで歩き、そこでインドネシア軍の無差別発砲が。マックス・スタール氏がビデオを隠し持って持ち帰り、イギリス・ヨークシャーTVで放映され、全世界に知らされた。昨年2011年11月12日は20周年にあたり、ラモス・ホルタ大統領出席の下式典が行われた。
◆99年9月インドネシア軍とミリシア(民兵)による破壊
2月13日(月)ジョゼさんの弟さん宅へ。
家の隣には、99年8月30日の住民投票後、インドネシア軍とミリシア(民兵)による破壊工作が行われたが、その際、壊され、焼かれた家がそのままに。ジョセさんの家族も西ティモールに3カ月間逃げられたのこと。
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