東ティモール日本文化センター代表:高橋道郎
2005年以来私たち有志は、東ティモール民主共和国の真の独立達成のためには、主食の自給自足を基軸とする東ティモール民衆の9割近くを占める農民自身による伝統的循環型有機農業の再生発展が不可決である、との視点から年数回の研究会を東京に集まって継続してきました。
06年2月には、研究会関係者3名が東ティモール民主共和国マヌファヒ県サメ郡を訪問し、ベタノ村の水田農業地帯やサメ町の近郊のコーヒー農園などを視察いたしました。また07年2月には別の参加者2名を含む研究会関係者3名が同国ラウテム県イリオマール郡を訪ねました。同地区の水田農業地帯の休耕田を視察し、将来同地にバイオガスシステムを設置することを現地農民と合意し、準備のための豚の飼育プロジェクトを開始してまいりました。
本年7月TNCC訪問団がイリオマール郡を訪問すると、すでに豚小屋と豚飼育小屋を建設し7頭の豚の飼育を開始し、あわせて豚のえさにするキャサバの栽培にも取り組み始めていました。
本年8月下旬から11月初旬にかけて、TNCCは東ティモールの農民2名をマヌファヒ県サメ郡から招待し、兵庫県朝来市和田山町朝日下戸で縄文型百姓による自給自足の有機農業を二十数年来建設してきた「あ~す農場」の大森昌也さんにお願いして、有機農業の実地研修を始めていただきました。
これらの研究の継続とささやかな有機農業領域での新しい試みを契機として、2000年1月1日に創立され主として言語教育領域で東ティモール民主共和国を支援してきたNGO東ティモール日本文化センターは、新たに有機農業や自然エネルギーの部門を設立し、新しい共同体創りに挑戦している草の根の東ティモール民衆と日本市民との共同作業を深化していくことを展望し始めました。
私たちの現在のきわめて小さな組織力量からすれば無謀な挑戦に、皆様のお力添えを戴きたく、その第一歩として情報の共有が不可欠と考え、新しいホームページを開設することといたしました。
皆様の温かいご指導とご協力を衷心からお願いいたします。
1 創立の背景と目的――日本人の責任と私たちにできること
東ティモール民主共和国は07年現在人口約100万人、日本と時差のない豪州大陸とパプアニューギニア島の中間にあるティモール島の東半分の岩手県と同じくらいの面積の独立国(02年5月20日主権回復・独立宣言)です。
ティモール島は、16世紀中葉からポルトガルに植民地化され、17世紀以降台頭した新興植民帝国オランダに西半分を割譲しました。ポルトガル領東ティモールは1942年2月から45年8月まで豪州侵略の橋頭堡にしようと企図した。
当時の大日本帝国に豪州とともに占領され、人口はこの3年半の間に約5万人減少したといわれています(ポルトガル植民地統計)。日本軍によって豪州軍のスパイ容疑で処刑された東ティモール人もいますし、日本軍人の従軍慰安婦にされた東ティモール人女性もいます。また日本軍に労働を強いられ受け取った賃金が日本軍票であったため、実質的に賃金が支払われなかったケースがあります。75年以降のインドネシア軍の侵略の際の爆撃で、麻袋に入れて保管していた日本軍票が消失してしまい証拠も今はないという訴えを聞いたことがあります。日本軍は補給線がなかったため食料を現地で調達したため、たくさんの東ティモール人が食料不足から飢え死にしたといわれています。
その結果、日本軍侵略中約5万人の人口が減少したのです。
しかし日本人の東ティモールに対する責任は、第2次大戦中の直接侵略だけではありません。
45年8月、日本軍が撤退してから東ティモールは再びポルトガルの植民地になりましたが、74年4月25日ポルトガルで反ファシストのカーネーション革命が起こり、ポルトガルの革命後新憲法には、全ての植民地を独立させると明記されました。アンゴラ、モザンビーク、ギニアビサウ、カポベルデ、サントーメプリンシペのアフリカの全てのポルトガル植民地はその後独立を達成しました。
東ティモールでも75年11月28日東ティモール独立革命戦線(フレテリン)が「東ティモール民主共和国」の独立を宣言し、アメリカ合衆国の侵略から独立を勝ち取ったばかりのヴェトナム人民共和国など15カ国から独立国として承認されました。
中司達也氏のサイト「報道写真家から」より
その10日後の75年12月8日、スハルト軍事独裁政権の支配下にあったインドネシア共和国は、前日のアメリカ合衆国フォード大統領とキッシンジャー国務長官との両国会談の直後、東ティモール民主共和国を軍事侵略し、1日で全土を占領しました。国連総会と安全保障理事会は国際法に違反したインドネシアによる東ティモール侵略を非難し、その撤退を決議しましたが、インドネシアは侵略を継続したばかりか、翌76年、東ティモールを国際法を無視して併合してしまいました。
75年12月から99年8月の国連管理下のレファレンダム(住民投票)まで、24年間インドネシアは国際法に違反して東ティモール民主共和国を軍事侵略していましたが、日本政府はこの間ずっとインドネシア共和国に膨大な経済援助を供与し続け、インドネシアの経済的スポンサーとして東ティモールの間接的侵略者であり続けました。
中司達也氏のサイト「報道写真家から」より
日本政府は第2次大戦中のティモール島直接侵略、戦後の東ティモール間接侵略の責任を公式に認め、損害賠償を行う責任をいまだに果たしていません。この責任を一刻も早く果たすよう日本政府に要求していかねばなりません。市民運動レベルでは、日本人の責任の一端を私たちの東ティモールの草の根の民衆に対する支援活動を通じて、果たしていこうではありませんか。
2 これまでのあゆみ――原住民の言語・出版・若い世代の教育支援
A 前史
私は1986年から東ティモールの独立運動の支援を開始いたしましたが、89年1月1日豪州北部特別地域準州州都ダーウィンの東ティモール人難民と協力して、ダーウィン・テトゥン語(東ティモールの共通国語)学校(Darwin Tetun School=DTS)を設立いたしました。この学校を支援するため宮城県仙台市に本部を置く「ダーウィン東ティモール人学校支援日本委員会」というNGOを設立し、豪州ダーウィンのほか豪州ヴィクトリア州都メルボルンやポルトガルの首都リスボンの東ティモール難民の子どもたちを対象とするテトゥン語学校を設立する支援をいたしました。
テトゥン語学校の運営は東ティモール難民の経済的窮乏があったため、困難を極めましたが、さらにテトゥン語の教科書不在・文法書不在などの問題にも直面しました。
97年8月、これらの困難を解決するため、第1回テトゥン語国際会議をダーウィンで開催し、私たちのNGOはダーウィンテトゥン語学校(DTS)とこの会議を共催しました。
98年8月には第2回(ダーウィン)、99年7月には第3回をメルボルンで開催し、一歩一歩テトゥン語教育の内容と方法を深化しました。
99年8月30日の国連管理下のレファレンダムで東ティモール人が完全独立の意思表示を行ったため、私は99年12月24日、クリスマスイヴの日にはじめて東ティモールに入国できました。
99年12月30日から2000年1月1日まで3日間、私たちNGOは東ティモール人と協力して第4回テトゥン語国際会議実行委員会を首都ディリで組織し、撤退時のインドネシア軍によって半ば破壊されたディリ中心部の建物の中で、会議を開催いたしました。
00年1月1日会議最終日に、私たち「NGOダーウィン東ティモール人学校支援日本委員会」は、「NGO東ティモール日本文化センター(Timor Lorosae Nippon Culture Centre=TNCC)の設立を宣言しました。
B 本史
2000年1月1日創立以来、私たちは主として言語教育の3領域で活動してまいりました。
(1) 言語
東ティモールの原住民の共通語(テトゥン語)と32あるといわれる地方言語の辞書・語彙集・詩集などの編集と出版活動(「東ティモールについて書く」(Hakelek Kona Ba Timor Loro Sae特別号)
ファタルク語 辞書 詩集 語彙集(テトゥン語―ファタルク語―英語)
マカサエ語 辞書 詩集 語彙集(マカサエ語―テトゥン語―ポルトガル語―英語―インドネシア語) 民話集
マカレロ語 辞書 詩集 語彙集(マカレロ語-テトゥン語)
会話集 文化論
ワイマア語 ミニ辞書 詩集
語彙集(ワイマア語―テトゥン語ーポルトガル語)
ナウウェティ語 辞書 双方向語彙集(ナウウェティ語―テトゥン語―英語、
テトゥン語―ナウウェティ語―英語)
詩集
トコデデ語 辞書 語彙集 文化論
マクア語 語彙集(マクア語―テトゥン語―ポルトガル語)
マクア語の歴史
イダテ語 イダテ語の基礎(イダテ語―テトゥン語―英語)
(2)出版
a 機関誌
TNCC機関誌「東ティモールについて書く」の第1号から第16号まで編集と出版。東ティモール人の言語で東ティモールについて書くことを基軸とする。
b テトゥン語による東ティモール歴史年表
テトゥン語による東ティモール年表は好評で需要が多く学校で歴史教育の教科書として使われている。第1版から第4版まで出版し今後も継続する予定。(Cronologia Kona Ba Timor Loro Sae)
(3) 若い世代の教育
a 孤児教育支援 ラガ・ヴェニラレ(00年からTNCCの一部門で開始されたラガ孤児院支援は03年9月1日からTNCCから分離独立し、「ラガの花たち里親会」として活動を続けている)
b 図書館建設
ラウテム県イリオマール郡の中心地にTBI=東ティモール日本文化センターイリオマール図書館(TNCC Biblioteka Iliomar)を03年12月18日、中口尚子さん(現TBI顧問)の献身的な援助を得て建設し、その後継続して経営にあたっている。
c 奨学生制度
TNCCの独自の奨学金制度の運営
3 これからの私たちの課題――伝統的循環型有機農業と自然エネルギーの活用
東ティモールは500年間に及ぶ植民地支配の結果、世界で最も貧しい国といわれています。失業は国民の半分もいるといわれ文盲率も半分近いといわれています。
この貧困が根本的原因となり東ティモールは不安定な情勢が続いています。私たちはこの問題を根本的に解決するには、これまで取り組んできた若い世代の東ティモール人自身の固有の言語による教育体制の整備と並んで伝統的循環型有機農業と自然エネルギー、とりわけバイオガスシステムの構築が必要であると考えるにいたりました。
人口の9割近い草の根の農民が、伝統的循環型有機農業の再建・発展に取り組むことは、長い植民地支配から脱して東ティモールの経済の草の根からの再生・発展の根幹を形成するものであります。また環境保全型の自然エネルギーを利用する体制を構築し、燃料の薪を得るため木を伐採し森林破壊が進んでいる現状を阻止することは、水不足の原因除去につながります。
自然環境保全に役立つ自然エネルギーの活用が、東ティモールの国土保全にとって緊急の課題になっています。動物の排泄物を活用してバイオガスを発生させ、燃料や発電のエネルギーとして利用し、ここから出てくる有機の液体肥料を循環的に農業に還元すれば、自然環境保全のリサイクル・システムが確立できます。
このような視点から、これまでの言語教育プロジェクトとともに、有機農業プロジェクトと自然エネルギープロジェクトを支援する部門を設立し、主食の自給自足体制構築やバイオガス・システムをはじめとする自然エネルギーの利用の促進を支援する活動を開始することは、意義ある挑戦であります。
もとより小さい市民団体にすぎない1NGOのできることには限界がありますが、日本人の有志市民と草の根の東ティモール民衆との志高い協力によって、一歩一歩生産的で創造的な具体的実践を蓄積していきたい、と考えています。
志を共有する皆さんのご指導とご協力をせつにお願い申し上げます。
おわりにーホームページの構成
私たちのホームページは
(1) 言語教育プロジェクト
(2) 有機農業プロジェクト
(3) 自然エネルギープロジェクト
のプロジェクト3部門と
(4) 東ティモール基礎データと歴史
(5) 青山森人の東ティモール便り
(6) イベント情報
の情報3部門とで出発いたします。
関連する諸団体・諸個人と積極的にリンクを形成発展させます。
文化・音楽
(1) 環音 広田 奈津子さん http://www.pc-lifeboat.com/waon/
参考文献
東ティモール日本文化センターの歴史 第2版(日本語版 TNCC 2006年7月1日 発行)
A short history of Timor Lorosae Nippon Culture Center(English Published b TNCC on 25th April 2006)
(広島紀元63年/2007年9月1日 コンセプト第一草稿 高橋道郎)
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